【我慢は個性を潰すのか?】

クラブ日記

「戦術の中での判断が選手の個性を伸ばす」

これは、僕が指導の中で大切にしている価値観のひとつです。
でもいつも、こんな疑問が頭に浮かびます。

「我慢って、個性を潰してないか?」
みんなの個性を俺は潰しにいってないか?と。

選手に「我慢して」「今はドライブして」「まずはチームの約束を守れ」と言う場面は多い。
自由にやらせすぎると“自己流”になるから、チームとしての戦術を守らせる必要がある。

でも、我慢ばかりさせていたら、選手の中の“自分らしさ”は消えてしまうんじゃないか?

自分の答えは、結局は我慢が個性を伸ばす!です。
一見逆説的ですが、「我慢=自分をコントロールする力」

本物の“個性”や“自由”を育てる土壌になると考えています。
我慢こそが、個性を育て、信頼を生み、チームを勝利に導く。


〈戦術の中の状況判断が、個性や表現力を伸ばす〉

自由にやらせれば、個性は出る。
でもそれは「自分勝手」と紙一重。

全てが自分の考え、自由だと“ただの自己流”、貧逆な我流。

大切なのは、制限された中での状況判断
制限された中で表現しきる力。
つまり「戦術の中で自分らしさを出す力」であり、
我慢が結局は創造性を生み出すきっかけになる。

なぜ「戦術の中での判断」が個性を育てるのか?

① 判断力が育つ

全てが自由だと“ただの自己流”で終わる。
制限の中で“どう魅せるか”を考えることが、思考力・表現力を鍛える。

やりたいプレーをグッとこらえて、チームや戦術を優先する。
感情よりも「選択」で動く力が身につき、考えるプレーができる。
枠の中での最適な状況判断の継続が、枠を超えた創造的なプレーに繋がる

② 自分の武器や弱みに気づける

与えられた枠組みの中で“何をするか”を選ぶには、
現在の自分の強みと弱みを理解している必要がある。
強みを磨き、弱みと向き合う過程で、自分の“色”が出てくる。

③ 「型を知った上での逸脱」になる

コーチの指示や戦術という“型”があるからこそ、
それを理解した上で崩す“ずらし”が“センス”になる。
そのセンスは、個性の深みに変わっていく。

④ チーム理解と責任感が育つ

状況を理解しながら表現することで、チームに貢献できる選手になる。
我慢が続く選手は、やがて“安定した存在”になり、
その判断力と姿勢が、チームの勝利に繋がっていく。


〈我慢は、個性を“磨く”〉

我慢には意味がある。ただ抑えつけている、個性を潰すためのものじゃない。
我慢とは、チームのために「選ぶ力」を鍛える時間であり、個性を“本物”にするための時間。

① 感情ではなく「選択」で動く力

ただやりたいプレーや感情で動かず、状況を見て最適なプレーを選ぶ。
感情じゃなく、状況を見て選択できる。
仲間からもコーチからも信頼されていく。

この冷静な状況判断ができることで、仲間からもコーチからも信頼されていく。“ここぞ”の一発や、勝負所での結果に繋がる

② 型の中で自分を出す工夫

限られた中でどう魅せるか。その工夫が“自分らしさ”に。
我慢してスペースを使い、味方を活かしながら自分のタイミングを作れる選手は、流れを引き寄せる。
我慢の質で、プレーや選手の厚みが変わる。

③ 継続することで「信頼される個性」になる

やるべきことを我慢強く続けた先に、“その選手らしさ”が形になっていく。
それが信頼となり、プレーの自由度を押し広げていく。


おわりに

粘り強く我慢することで、思考が深まり、判断力が磨かれ、信頼が積み上がり、創造性ある選手になる。

「我慢しながらも“らしさ”をにじませていくこと」が、本当の個性の育成なんじゃないかと。

“我慢”は、個性を潰すものじゃない。
本物の個性を磨き、選手としての価値を高め、勝利を引き寄せる力です。



P.S.

まだまだ僕の指示や話を聞いてくれません。

最近はコーチが言ったことや、練習メニュー、選手の誰かが言ったことは復唱していこうという新たな取り組み中です。
昨日なんか練習から練習の切り替えが遅くて、早く次の練習に行けよという意味で「行けっっ!」と1人の選手に強めに言ったら、

「休憩!!」と聞き間違えて「休憩!!」の復唱の連呼。

勝手に休憩となり、奏文コーチと呆然。。。からの爆笑。

今までの練習の流れからしてここで休憩なはずあるかいっ!
誰かちょっと違うかもって思えよ!

もう帰ろうかなという思いをグッと堪え、ソッと次のメニューに進みました。

感情ではなく「選択」で動く力ですwww
この我慢は創造性に繋がるのでしょうか?
ただただちゃんと話聞いてくれと思う日々です。

おわり。